生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

トップページ私たちの活動と考え方 東日本大震災への対応

東日本大震災への対応 〜震災から10年を経て〜

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの方の命を奪い、甚大な被害をもたらしました。震災により被害を受けられたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。 また、一日も早い復旧・復興を心より祈念しております。

中央執行委員長メッセージ

2021年3月11日、未曽有の被害をもたらした東日本大震災から10年が経ちました。また、2月13日の夜には、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生しました。この10年だけでも、熊本や北海道での大地震、西日本地域を中心に広範囲で発生した集中豪雨等の自然災害が発生しています。こうした自然災害の報に接するたび、災害を風化させてはならないという強い気持ちを新たにします。亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表すとともに、ご家族やご友人を亡くされたみなさま、災害の影響で不自由な生活を余儀なくされているみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

悲しみを乗り越え 復興に向けて歩む全ての方々に敬意を表したい

震災から10年を迎えるにあたり、昨年12月に岩手県大船渡市、陸前高田市などの沿岸地域を訪問しました。震災発生時は、私も岩手県内で勤務しており、食糧物資や災害ボランティアなど全国からさまざまな支援をいただき、人と人との絆やあたたかさを強く感じ、感謝に堪えなかったことを思い返しました。今回訪問して、防潮堤の建設など未だ工事中の場所も見られましたが、復旧・復興に向けた歩みを肌で感じるとともに、震災の教訓を活かしながら力強く前進している姿を目にすることができました。震災前の生活、街並みを取り戻すことは容易でない中、この10年間、悲しみや苦しみなどさまざまな思いを胸に抱きつつ、復旧・復興に向けて懸命に頑張ってこられた全ての方々に改めて敬意を表したいと思います。

これからも フェイス・トゥ・フェイスで地域に根ざした活動を

震災直後から自らが被災しながらも、お客さまの安否確認などに奔走した組合員のみなさんを心から誇りに思います。お客さまに寄り添った「フェイス・トゥ・フェイス」を通じた活動はお客さまの心の支えとなり、多くの不安や悲しみを癒したはずです。こうした取組みは人と強く結びついているからこそ可能となったことであり、地域に根ざして活動することの重要性を改めて認識しました。これからも「フェイス・トゥ・フェイス」の活動を実践し、お客さまに安心をお届けし続けていくことが私たちの使命でもありますし、生保労連が「チャレンジビジョン2030」で掲げる「お客さまや社会に『貢献』し『信頼』を得る」ことにもつながると思います。

一人ひとりが「何ができるか」を考えて 想いを将来につないでいく

生保産業で働く私たちは、被災された組合員のみなさんが果たしてきた役割やお客さまへの想いを将来につないでいかなければなりません。今年度、生保労連では震災時の対応を振り返るとともに、地域社会における役割発揮の大切さなどを共有することを目的に、フォーラムを開催する予定です。昨今のコロナ禍の影響で、社会全体の生活様式や価値観などが変化していますが、こうした変化にも的確に対応しつつ、私たちの活動のベースにあるフェイス・トゥ・フェイス、すなわちお客さまに寄り添った対応を続けていくことが、さらなる役割発揮につながると思います。これからも震災を風化させることなく、一人ひとりができることを考え、ともに歩んでいきましょう。

2021年3月11日

中央執行委員長 松岡 衛

震災を風化させないために

生保産業で働く私たちは、「お客さまに安心をお届けする」使命を最大限に果たすために一丸となってさまざまな取組み・対応を行い、危機的状況を乗り越えてきました。生保労連では改めて生保産業が果たしてきた役割を振り返り、「震災を風化させてはならない」との強い思いで、機関紙「ユニオンネット」特別号を発行しました。生保労連ではこれからも、生保産業で働く私たちが果たしてきた役割を将来に語り継ぎ、当時の出来事を風化させないよう取り組んでまいります。

改めて生保産業の果たすべき役割を考える
~震災を経験した組合員の声~

2020年12月、東日本大震災で被災した沿岸地域を訪問し、当時自らも被災しながら懸命にお客さま対応にあたった組合員のみなさんからお話を伺いました。その内容の一部をご紹介します。

震災時、何を想い、どのように行動したか

自ら被災するも、まずはお客さまの安否確認を急いだ

震災によって私の家は燃えてしまい、食べる物も着る物もままならず呆然とした状態だった。津波で営業活動の基盤を失い、先を想像できない状況下で、まずはお客さまの安否確認を急いで行った。お客さまも自分も生きているのか、死んでいるのか分からないという精神錯乱の状態だったので、安否確認でお互いに知った顔を見て初めて「自分が生きている」という実感が持てた。(機関長)

営業所が浸水し、何から手を付けてよいのか分からない状態だった

釜石に津波がやってきて、船、車、瓦礫などが引き潮でどんどん流される映像を見て、「これはただ事ではない」と直感したことを今でも思い出す。営業所は海沿いにあり、3階建ての建物で2階半分まで浸水したため取り壊された。震災当日から1週間ほどは、何から手を付けてよいのか分からない状態が続いた。(営業職員)

貸付、保険金・給付金支払い等のお客さま対応に奔走した

津波による原発事故の影響で自宅待機となり、解除後は貸付や保険金・給付金の支払い業務等に追われた。支社勤務になってから各営業部を訪問した際に聞いた話だが、相双地区(福島県東部)は、10年経った今でも放射線量が高くて立入禁止となっている場所があるそうだ。今、私が住む地区では普通に暮らすことができるが、こうした現実もあるのだと考えさせられる。(内勤職員)

震災を振り返り、改めて思うこと

フェイス・トゥ・フェイスの重要性、生命保険の意義を改めて実感

震災を経験し、生保で働く使命やフェイス・トゥ・フェイスの重要性、生命保険の意義などを今一度理解しなければと感じた。やはり「対面」や「人と人とのふれあい」は大切で、そうした対応が無ければ、震災からの立ち上がりにもっと時間を要したと思う。(機関長)

震災時の対応もあり、お客さまとより深く長いお付き合いに

営業職員として、お客さまのことを真っ先に思い浮かべ、営業所の仲間総出で震災後しばらくはリュックに支援物資などを詰め込み、自転車で安否確認に出かける日々だった。今振り返ると、震災時に困っているお客さまのところへまず向かい、お客さまの声を直接伺い、支援物資をお渡しするなど、迅速に行動して本当に良かったと思っている。その後、お客さまとより深いお付き合いになったことで、今の自分がある気がする。(営業職員)

事務担当として、お客さまの不安を少しでも解消したい

震災後に営業部へ電話をくださるお客さまに保険料猶予期間の延長の説明等を行っていたが、「ご安心ください」とお伝えすると、お客さまの口調が変わるのが分かった。不安で電話をかけてこられるお客さまに、「大丈夫ですよ。対応していますよ。」と伝え、電話越しのお客さまが安堵されている様子を感じたときは、少しでもお役に立てて嬉しかった。(内勤職員)

今後、生保産業や私たちに求められること

世のため、人のため、役に立つ人間を育てたい

生命保険商品の価値を高めているのは営業職員で、営業職員のまじめで一生懸命で使命感を持った活動、現場で働く姿勢、いつもお客さまのために役に立とうという精神が、商品の付加価値をより高めていると思う。私はこれからも機関長として、その営業職員たちがこの先も安心して職務を全うできるように、いつもお客さまのことを一生懸命考え、世のため、人のため、役に立つ人間を育てていきたい。(機関長)

自助努力の重要性を発信し続けていく必要がある

生命保険や火災保険など、保険と言われるものは、普段役に立たないことが良いことなのだが、いざこうして震災を経験すると、やはり何かあった時の備えとして保険は本当に重要なもので、永遠に普及していく必要があるものだと思っている。そのためにも、国民に対し、自助努力の重要性を発信し続けていくことが必要だと思う。(営業職員)

人と人との心のつながりが持てるような生保産業であり続けたい

今後もさまざまな販売手法が出てくるかもしれないが、ちょっとした会話をきっかけにお客さまとの距離が近づき、人と人との心のつながりを感じられるということは、これからも大切だと思っている。また、「お客さまと職員」だけではなく、「職員同士」も心のつながりが持てるような生保産業であり続けたい。(内勤職員)

被災地域を訪れて
~岩手県陸前高田市、大船渡市を訪問~

津波に襲われた被災地域は、復興に向けてどのように歩んでいるのでしょうか。2020年12月、津波の影響が大きかった沿岸地域を訪れました。復旧・復興に向けて力強く歩む岩手県陸前高田市、大船渡市の今をご紹介します。

新たな市街地形成が進む 陸前高田市

▲津波にも耐え復興のシンボルとして
知られる奇跡の一本松

陸前高田市は、氷上山や気仙川があり、牡蠣やホタテをはじめとした水産物の豊富な漁獲量を誇るなど、自然に恵まれた都市です。また、国の名勝である高田松原を有するなど「豊かな自然と文化財に恵まれたまち」として知られています。しかし、津波の影響で市街地や市役所・体育館などの公共施設は甚大な被害に見舞われ、沿岸部に広がっていた約7万本の広大な松林には「奇跡の一本松」のみが残り、その周辺には破壊された松の幹が点在しています。

▲現在の陸前高田市沿岸部の様子
松原跡地には防潮堤が建設された

また、タピック45(旧 道の駅高田松原)には、震災時に15メートル程の津波が到達したことを示す印が記されており、当時の被害の大きさを今に伝えています。現在、市内中心部は土地のかさ上げが進み、新たな市街地形成が進められています。また、沿岸部一帯は、「東日本大震災津波伝承館」や「道の駅 高田松原」を中心とする「高田松原津波復興記念公園」として整備が進んでいます。2019年に完成した「道の駅 高田松原」は、開業から1年で来場者数50万名に達成したとのことです。今後は、こうした人の流れを新たな市街地にどのように呼び込んでいくかが、陸前高田市復興へのカギとなりそうです。

水産業を中心に 再び賑わいある街をめざす大船渡市

▲加茂神社から見た現在の大船渡市内の
様子(大船渡市提供)

大船渡市は、天然の良港「大船渡港」があり、本州一のさんまの水揚げを誇るなど、「水産業のまち」として知られています。しかし、当地を襲った震度6弱の地震と津波によって漁港は壊滅し、大半の住宅や商店街などが失われました。大船渡地区の高台には加茂神社があり、震災時は多くの地域住民が加茂神社をめざして、襲いかかる津波から難を逃れたとのことです。道路には震災時の津波到達地点を示す標識が非常に高い位置に掲示されており、街を襲った津波の威力を物語っています。現在は新たな漁港が完成し、道路等のインフラ面も整備され、ビルや住居が立ち並ぶなど、復興に向けた基盤は整いつつあります。しかし、依然として更地の場所も多く、震災前の街の賑わいを取り戻すにはさらに時間を要するものと思われます。大船渡市の復興に向けた街づくりは、これからも続いていきます。

▲大船渡市内の当時(左)と現在(右)(当時の写真は大船渡市提供)

生保産業の対応と生保労連の取組み

震災発生当時、生保産業で働く私たちは何を想い、どのように行動したのか。生保産業の対応と生保労連の取組みを振り返り、その一部をご紹介します。

生保産業の主な対応

お客さまの安否確認、
保険金・給付金のお支払いに奔走

営業職員のみなさんをはじめ、各社の本社部門から派遣されたスタッフも含め、1件1件お客さまのご自宅や避難所を訪問し、安否確認や必要なお手続きのご案内を実施しました。その活動は組織内外から大きな評価をいただいています。

お客さまの不安を解消するため 保険契約上の措置を実施

保険金等のお支払いや保険料のお払込みに不安を抱いている被災された方に少しでもご安心いただくため、震災発生後直ちに地震免責条項等の不適用(災害関係保険金・給付金の全額お支払い)や保険料払込猶予期間の(再)延長、利息減免等の特別取扱(契約者貸付の特別金利の設定等)、簡易・迅速な保険金・給付金等のお支払い(必要書類の一部省略など)といった保険契約上の措置を決定・実施しました。

被災地の状況に配慮した 相談受付体制を整備

多くの被災された方が避難所での生活を余儀なくされている状況を踏まえ、災害地域生保契約紹介制度を発足し、生保協会に加盟するすべての会社がご契約の有無を調査する等、あらゆる手段を活用し、被災地の状況に配慮した相談受付体制を整備しました。

上記の一連の対応が評価され、生保協会は2012年4月に「内閣府特命担当大臣表彰」を受賞されています。

生保労連の主な取組み

直ちに災害対策本部を設置の上 各種対応を実施

災害対策本部を設置し、各組合と連携しながら様々な対応を協議・決定しました。震災発生直後の生保協会との労使協議会では、被災地組合員の安全確保と給与・資格査定に関する特別対応等を要請しました。また、震災後8月に開催した定期大会において、東日本大震災からの復旧・復興に向けた特別決議を採択し、「生保産業の社会的使命の達成」「被災地の復旧・復興に向けた支援」に引き続き取り組んでいくことを確認し合いました。

義援金寄贈・災害救援物資の提供を通じ 被災地を支援

被災された方への支援や被災地の復旧に向け、日本赤十字社への義援金寄贈や連合が実施した「東北地方太平洋沖地震救援カンパ」への拠出、各組合の協力の下で実施した災害救援物資の送付等を行いました。

連合の仲間とし連携し ボランティア活動を実施

半年間にわたり、連合の災害救援ボランティアに役職員を派遣し、民家での家財の撤去やヘドロの除去、側溝の泥出しなどを行いました。

派遣先:仙台周辺・石巻地区、気仙沼地区、陸前高田地区

震災から5年経過後の2016年3月には「絆フォーラム」を開催し、震災当時を振り返りながら、地域における「絆」や「つながり」の大切さ等について組織内外の方々と共有をはかりました。