生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

休日の名所散策

こんにちは。組織委員会・営業職員委員会担当の琴川です。

転勤族であり単身赴任の私は、休日にその地の名所を散策することにしています。

これまで行ったところでは特に琵琶湖がお気に入りです。周辺は紅葉が有名ですが桜の時期も素晴らしく、比叡山の麓にある日吉大社の桜並木から眺める琵琶湖は最高です。

この琵琶湖が東京にもあると聞いて訪れたのが不忍池です。なぜ不忍池が琵琶湖なのかと言うと、寛永寺を建てた天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島の位置に弁天島を造ったからなのです。最初弁天島は文字通り島になっていて船で渡ったそうですが、今はご存知の通り歩いて渡れます。近江の比叡山延暦寺と琵琶湖が、江戸では東叡山寛永寺と不忍池になっています。

天海僧正は日光東照宮を造ったことでも有名ですが、日光東照宮は日吉大社のすぐそばにある日吉東照宮をモデルにしたとも言われ、棟梁は近江の大工でした。天海僧正と近江は何か深い因縁があるようです。

帰りは上野駅から電車です。上野駅は職場からも近くよく利用する駅ですが、新幹線の開通で新しくなった部分はあるものの低い天井と迷路のような構内は(多分)昔から変わっておらず、方向音痴の私には目的の電車に乗るまでが一苦労です。

上野駅のイメージは、私以上の年代の方にとっては何と言っても「集団就職」でしょう。昭和30年代~40年代にかけて、中学を卒業した若者が集団で都会に出て働いた時代がありました。若者たちは「金の卵」と呼ばれ日本の高度成長の支えとなりましたが、15歳前後の若者にとって慣れない土地での生活は決して楽ではなかったと思います。東北地方からの「金の卵」は、東京の玄関口である上野駅から都会の生活が始まり、生活に疲れると上野駅に来て「歌」を歌っていたという記事をどこかで読んだことがあります。

今年東北地方は未曽有の大災害に見舞われました。当時の心の応援歌『ああ上野駅』をあらためて聴きながら、月並みですが一日も早い復興をお祈りしています。

   ♪ どこかに故郷の香りを乗せて 入る列車のなつかしさ

     上野は俺らのこころの駅だ くじけちゃならない人生が

     あの日ここから始まった。♪  (S39年 井沢八郎)

ワーク・ライフ・バランス労使フォーラム

 こんにちは。ワーク・ライフ・バランスの推進を担当しております副委員長の大隈です。

 先日(11/15)に開催しました、“ワーク・ライフ・バランス労使フォーラム”を紹介します。

 まずは、今年もたくさんの方にご参加を頂き、本当にありがとうございました。

 労使フォーラムは、4年前のシンポジウムから数えて4回目の開催を迎えることができました。

 

プログラムは二部構成で、第一部は法政大学キャリアデザイン学部の武石教授に「ワーク・ライフ・バランス実現のための働き方改革」をテーマに基調講演を頂き、第二部は「労使一体となったワーク・ライフ・バランスの実現に向けて」をテーマにパネルディスカッションを行いました。コーディネーターに山梨大学 教育人間科学部 西久保教授、パネリストとして、基調講演に引き続き武石先生、他産別を代表して旭化成労働組合 後藤中央書記長、生保産業の経営側を代表して第一生命人事部ダイバーシティ推進室 吉田室長、組合側を代表して私が参加しました。

 当日の内容は、講演録を作成し、各組合に配布する予定にしておりますので、当日参加できなかった方は楽しみにお待ちください。

 最後になりますが、各労使ではまもなく春闘の時期を迎えます。今や「ワーク・ライフ・バランスの実現に向けた取組み」は、「賃金に関する取組み」と並ぶ重要な課題となっており、引き続き、ワーク・ライフ・バランスの実現を重要なテーマとして位置付け、各組合の支援に努めてまいります。

愛車で美術館めぐり

 

労働局の瀧澤です。生保労連の書記として働き、おかげさまで約20年になります。本当によい職場で働くことができて、感謝しています。

さて、今回は私がいまハマっていることについてお話ししましょう。

私は社会人になる前に運転免許を取得したものの、クルマにはあまり興味がなく、長い間ペーパードライバーでした。しかし、数年前、後期高齢者を目の前にした両親を、将来両親の故郷(長野県)に連れていってやるためにはクルマが必要だと思い、2年前にクルマを購入しました。せっかく買ったのだからと、今住んでいる埼玉県の鴻巣市から日帰りでいける範囲にはいろんなところにドライブにいきました。

 最近ある自動車会社の組合の役員の方に、「クルマでないといけないところというのはたくさんあり、クルマを買ったおかげで、そうしたところにもいけるようになりました。さらに、クルマでないとみることができない、すてきな風景もたくさんみることができました」と話しましたら、「若者のクルマ離れがいわれて久しいが、そういうクルマの魅力を伝えていかなければならないなあ」とおっしゃっていました。

 このクルマでどこにいくのかといいますと、主に美術館めぐりをしております。小さいころから美術(小学校では図画工作ですが)が好きで、テレビでも「日曜美術館」は欠かさず見ています。それに、美術館はいろんな絵をみることができるだけでなく、世間とは別の世界に入り込んだような感じがして、とても気分がよいのです。また、美術館はたいてい喫茶コーナーがありますが、そこから美術館のまわりの風景をながめながら、ゆっくりとコーヒーを飲むのが楽しみです。

 北関東によい美術館はたくさんありますが、おすすめは群馬県の館林美術館です。

最近おとずれた長野県志賀高原にある志賀高原ロマン美術館。施設は世界的建築家黒川紀章さんによる設計だそうです。

連合ボランティア第23陣

こんにちは。政策局の新井です。

今回は連合派遣ボランティア第23陣として、岩手県陸前高田市の広野地区で活動してきました。

生保労連としては、この第23陣が最後の連合ボランティア派遣となりました。(連合は9月末で収束)

震災前の陸前高田市は1万本の松原がある風光明媚な街でしたが、震災による津波のため、たった1本を残して全て押し流されてしまいました。また、震災からちょうど半年経過しましたが、街も瓦礫の山がいまだ数多く残っており、急ピッチで搬出が行われていました。

今回の活動は、気温30℃、湿度90%にも達する厳しい残暑の中での作業となりました。

活動前半は主に民家跡の草刈り・瓦礫の撤去でした。背の高さを超えるような草・木、大人1人では持ちあげられないほどの重さの流木、石、瓦、コンクリートなどの瓦礫が多くあり、初日から悪戦苦闘しました。

トラックへの瓦礫積み込み作業

活動後半は、公民館跡地で瓦礫の撤去でした。私たちの活動終了日翌日に祭りを開催するため、子どもたちが安心して遊べるようガラスやコンクリート、石などを撤去して欲しいとの要望があり、「子どもたちのために」と疲労が蓄積している中で、メンバーが今まで以上に一丸となって活動を行いました。

私自身は連合のボランティア派遣は2回目となりましたが、この2回を振り返ってみて、少しでも被災地の皆さんのお役に立てていればと思うところです。

被災地は未だ復興半ばですが、1日も早い復興と、震災前よりも発展することを祈念いたします。

全作業終了後に第23陣のメンバーと

岩手県陸前高田市・大船渡市でのボランティア活動

労働局の堺です。連合派遣ボランティアの第22陣として、9月上旬に岩手県陸前高田市・大船渡市で活動してきました。

活動初日は朝から雨模様でしたので、陸前高田市での活動を回避し、大船渡市で活動を行いました。陸前高田市では地盤が沈んでしまっているので、雨が降ると海面が上昇し、危険な状況になってしまうのだと聞きました。この日は雨がそぼ降る中、海辺に近い幹線道路脇の側溝につまった土砂をスコップとつるはしで取り除く活動を行いました。土砂を掘り返していると、アワビや牡蠣の殻がザクザクと出てきます。養殖場が近かったのでしょう。漁業への被害も甚大だったと思います。

翌日からは天気が回復し、陸前高田市で活動しました。活動場所は海風が吹き抜けるので涼しさを感じますが、連日30度越えの炎天下です。ボランティアセンターの看護師さんから熱中症対策の指導を受け、20分活動10分休憩のターンを繰り返しながら、自分の体力と相談しつつ、活動を行いました。

活動2日目は荒れ果てた田んぼの草刈りとがれきの撤去です。すぐ近くでは、鉄道の線路が盛り土ごと流されてしまっており、津波の威力を物語っています。田んぼの持ち主の方は無事でしょうか。

活動3日目と4日目は、内陸部の高台にある地元企業の資材置き場の撤去を手伝いました。そこは仮設住宅の建設予定地に指定されているとのことです。日頃はパソコンの前にかじりついている自分も屋外の作業にすっかりとなじみ、きびきびと身体が動くようになっています。

活動最終日は、小さな入江にある農家の片付けの手伝いです。作業中にふと上を見上げると、高さ数メートルもある木の枝に衣服が絡みついています。それ以上の高さまで水がきたということです。ぞっとします。

活動場所への行き来はバスでの移動となりましたが、車窓から見る景色には時折見慣れない光景が映ります。そこにあるはずのないものがゴロンと無造作に置かれたような光景、またそこにあるべきものが根こそぎ持っていかれてしまって、不自然なほど何もない光景。そこに何があったのか、誰が生活していたのか、被災前の写真と見比べることでようやく想像を補うことができます。

被災した方の体験談を聴いたり、被災地を歩いたり、廃墟に立ったりしましたが、自分の体験を人に伝えるのは難しいですね。被災した方々の経験や思いをくみ取って、また人に伝えるということができるかと問われれば、私には難しいな、できないな、と思います。せめて、自分が見てきたものを、天災の破壊力の大きさと爪跡を、自分が生活する地域の、職場の防災に生かしていくことが務めと思い、これから役立てていきたいと思います。