生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

岩手県陸前高田市・大船渡市でのボランティア活動

労働局の堺です。連合派遣ボランティアの第22陣として、9月上旬に岩手県陸前高田市・大船渡市で活動してきました。

活動初日は朝から雨模様でしたので、陸前高田市での活動を回避し、大船渡市で活動を行いました。陸前高田市では地盤が沈んでしまっているので、雨が降ると海面が上昇し、危険な状況になってしまうのだと聞きました。この日は雨がそぼ降る中、海辺に近い幹線道路脇の側溝につまった土砂をスコップとつるはしで取り除く活動を行いました。土砂を掘り返していると、アワビや牡蠣の殻がザクザクと出てきます。養殖場が近かったのでしょう。漁業への被害も甚大だったと思います。

翌日からは天気が回復し、陸前高田市で活動しました。活動場所は海風が吹き抜けるので涼しさを感じますが、連日30度越えの炎天下です。ボランティアセンターの看護師さんから熱中症対策の指導を受け、20分活動10分休憩のターンを繰り返しながら、自分の体力と相談しつつ、活動を行いました。

活動2日目は荒れ果てた田んぼの草刈りとがれきの撤去です。すぐ近くでは、鉄道の線路が盛り土ごと流されてしまっており、津波の威力を物語っています。田んぼの持ち主の方は無事でしょうか。

活動3日目と4日目は、内陸部の高台にある地元企業の資材置き場の撤去を手伝いました。そこは仮設住宅の建設予定地に指定されているとのことです。日頃はパソコンの前にかじりついている自分も屋外の作業にすっかりとなじみ、きびきびと身体が動くようになっています。

活動最終日は、小さな入江にある農家の片付けの手伝いです。作業中にふと上を見上げると、高さ数メートルもある木の枝に衣服が絡みついています。それ以上の高さまで水がきたということです。ぞっとします。

活動場所への行き来はバスでの移動となりましたが、車窓から見る景色には時折見慣れない光景が映ります。そこにあるはずのないものがゴロンと無造作に置かれたような光景、またそこにあるべきものが根こそぎ持っていかれてしまって、不自然なほど何もない光景。そこに何があったのか、誰が生活していたのか、被災前の写真と見比べることでようやく想像を補うことができます。

被災した方の体験談を聴いたり、被災地を歩いたり、廃墟に立ったりしましたが、自分の体験を人に伝えるのは難しいですね。被災した方々の経験や思いをくみ取って、また人に伝えるということができるかと問われれば、私には難しいな、できないな、と思います。せめて、自分が見てきたものを、天災の破壊力の大きさと爪跡を、自分が生活する地域の、職場の防災に生かしていくことが務めと思い、これから役立てていきたいと思います。

残暑の葉山

はじめまして、社会政策・広報委員長の磯村です。この8月24日に専従役員として生保労連にお世話になることになりました。

広報委員長としては、多くの消費者団体やマスコミ関係の方々へ、そして、社会政策委員長としては、ユニオンアドバイザーをはじめとした有識者の方々に、25万人の組合員の皆さんの活動への理解を求めていく大事な役目。少々、緊張していますが、頑張っていきたいと思います!

話は変わりますが、磯村は「海」が大好きです。いつも葉山か伊豆ばかりですが。仕事が一段落した時、アイデアがわかない時、などなど・・・個人的には海を眺めていると不思議と力が湧いてきます。

3連休も、小2の娘と年中の息子と残暑の太陽が照りつける中、葉山へ行ってきました。ワーク・ライフ・バランスというやつですね。しっかり働き、しっかり休む。もっとも、家族サービスは休むというより体力勝負かも(汗)。とにかく、、、第三京浜~横横~逗葉新道ルートで行けば、都心から車で1時間半くらいで、陽光がきらめく青い海が目の前に広がります。葉山は、御用邸もあるなど昔から避暑地ですよね。海あり、山あり、食事もおいしい!そして、相模湾の向こうには江の島、そして富士山が見えるパワースポットというか、「癒し空間」です。ちなみに、今回も見えました!(小さくてわからないかも・・・)湘南ほど人もいないし、ゆったりできます。

海にはいろんな表情があります。いろんな色があります。そして匂いがあります。夏は終わりますが、秋や冬の海もまたいい感じです。皆さんも、海を眺めに行ってみませんか?

絆の国、にっぽん

こんにちは、生保労連委員長の佐藤です。

東日本大震災から6ヶ月が経ちました。あらためて、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

また、被災地の一日も早い、生活そして産業の復興を衷心よりお祈り申し上げます。 

この間、何よりも、生保産業人として感動し、嬉しく誇りに思うことは、被災直後から困難な状況の中、お客さまの安否確認、お支払い等のご案内にいち早く、そして親身な活動を展開されて来た営業職員・機関長、現地組合員の皆さんの活躍です。

私自身、様々な方面の方々から、賛辞とお礼、労いの言葉を頂きました。そのことを、まだまだご苦労が続く被災地組合員の皆さんに、まずは、声を大きくしてお伝えしなければなりません。 

前回までは、「連合復興ボランティア」への参加報告を連載してきました。

活動に参加した役職員全員、押し流された市街地に呆然と立ち、被災地の方々と接し、また、瓦礫・ヘドロとの格闘にヘトヘトになりながらも、復旧へ向けた活動に「自分が参画し、少しでも貢献が出来た」という生涯忘れ難い事実に対して、大きな充実感と強い連帯感と被災地との絆を労連組織に持ち帰りました。 

あれから半年が経ちました。

震災前のことが随分と遠い昔のことのように感じられます。それ程に、震災以降、「日本では濃密な時間が流れている」ということなのだと思います。

元気は、与えるものでももらうものでもありません。“自ら出すもの”です。

それまでは、元気な者がしっかりと支え続けること、それが我々の使命です。

大震災からの復興へ向けた支援活動はまだまだ続きます。

これからも、被災地の再生を、「心で繋がった絆」を通して応援し、見守っていきたいと思います。

さて、生保労連は8月24日に定期大会を開催し、2011年度の運動方針等を確認いただきました。

設立40周年を機に共有した「Newチャレンジ宣言」。「社会から共感・信頼をいただける運動の実現」を目指して、活動を進めていきます。

 「頑張ろう、絆の国にっぽん!」

救援ボランティアを通じて感じたこと

こんにちは、組織・社会政策担当の近藤です。

6月11~19日にかけて連合救援ボランティア第10陣が派遣され、生保労連からは広報・社会政策を担当する長﨑委員長と私が参加しました。

前半は多賀城市で側溝の掃除を行い、後半は名取市と石巻市でガレキ撤去などの作業を行いました。

名取市では、カーネーション栽培を行うビニールハウス内にたまったヘドロやガレキを除去する作業を行いました。栽培していたカーネーションはすべて津波でなぎ倒され、岩のように硬い泥が畑全体を覆い、農業の経験がない私から見ても、元の状態に戻すには長い年月が必要であることが分かりました。

津波の被害を逃れて残った花を刈り、畑の骨組みを壊していく作業は本当に胸が痛み、作業に関わった全員が悲しい気持ちになったと思いますが、依頼主の方が復旧・復興に強い意欲を持たれており、私たちの心をいつも奮い立たせてくれました。

作業をしている時に、他のボランティアの方が、「これはゼロではなくマイナスからのスタートだから頑張らないといけないんだ。」と話していましたが、まさしくその通りで、何も無い場所に畑を作るよりもはるかに大変な作業だからこそ、私たちボランティアが必要とされているのだ、ということを痛感しました。

ボランティア期間中は、大部屋で寝泊まりし、他の産別の方々と朝から晩まで行動を共にするという、貴重で得難い経験をさせていただきました。

これからも被災地で感じたことを忘れず、日々の仕事の中で復旧・復興に繋がることを続けていきたいと思います。

↑名取市のボランティアセンターには手づくりの可愛い看板がたくさんありました。

5年後に、必ずや“観光”で!

みなさん、はじめまして。労働局(営業職員委員会担当)の小島です。 

この“ブログ”を楽しみに?ご覧いただいている方々は既にご承知かと思いますが、現在、生保労連では、被災地の復旧・復興に「少しでもお役に立ちたい」との思いから、連合を通じたボランティア活動に参加しています。わたしも6月3日~11日までの9日間、大隈副委員長(前半)、早川副書記長(後半)と共に宮城(仙台)に行ってきました。連合としての派遣は、第9陣目になります。(わたし自身は、ボランティア初体験です)

「班長」として・・・

活動地区は、これまでもブログで紹介のあった亘理町です。活動初日・2日目は側溝のヘドロ等を除去する作業です。

第9陣「第1班」の仲間たち

当日は土日ということもあり、個人の方を含め、多くのボランティアの方々が各地で活動していました。側溝には、津波で流された様々なものが混在しており、それらも含めて取り除く作業は、想像していたよりも重労働でした。

活動中は、基本的に班単位で作業にあたります。なぜかわたしが「班長」に任命されましたので、右も左もわからない中で、少しでも頼りになる班長をめざして奮闘しました・・・

9陣目にして初めての墓地清掃

3日目以降は、墓地に流れ着いた泥や砂利、ガレキ等の清掃作業です。多くの墓石が破損、倒壊している状況の中で、「せめてその周辺だけでも元の状態に戻そう」との思いで、計4日間の活動を行いました。

活動中、残念ながら破損してしまった墓石に手を合わせているご家族を何度か見かける機会がありました・・・。「ご先祖さまにご自身の無事を知らせている姿」なのか、それとも「被災し、他界されたご家族をお守りくださるようお願いしている姿」なのか・・・。

こうした姿を見ていると、何とも言いようのない気持ちになりましたが、一方で、こうしてお墓参りに来ることができる状況になっているということは、約3か月という時が経過する中で、生活の面でも心の面でも、少し落ち着いてきているのかもしれないとも感じた次第です。

墓地での清掃作業

仙台のみなさんのたくましさを痛感

ボランティア期間中は、毎朝8時30分頃にベースキャンプ近くの北仙台駅をバスで出発し、活動地域のボランティアセンターに向かいます。この時間帯は、通学途中の学生達や通勤途中のサラリーマンの方々、特に仙台は自転車通勤をされている方が多いのですが、みなさん颯爽と元気に活動してらっしゃいます。

また、夜の仙台はというと、これもまた明るく元気に語らい合っている姿が多く見られます。それが奥さん・旦那さんへの不満?なのか、上司の愚痴??なのかは分かりませんが・・・

たとえご自身やご家族が無事であっても、親戚や友人・知人といった方々の状況を含めると、ほぼ全ての方が深い痛みや悲しみを抱えていることは容易に想像できますが、そうした状況にあっても、明るく、力強く歩まれている姿が強く印象に残っています。

オール・ジャパンで復興を

9日間という短い期間ではありましたが、被災地の惨状を目の当たりにし、その復旧・復興に向けた活動に携わることができたことは、とても貴重な体験でした。

今回の活動では、個人宅のお手伝いをする機会はありませんでしたが、ボランティアセンターのみなさんや連合宮城の方等とお話する機会をたくさん得ることが出来ました。その中でみなさんがおっしゃられていたのが、「何とか5年間で再生する」という強い思いでした。

私自身、一人の“日本人”として、生保労連・連合を通じた諸活動への参画や、個人的に出来る事をしっかりと行い、5年後に“観光”で仙台を訪れたいと強く願っています。

<亘理町災害ボランティアセンター>

http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10115P