生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

春はもう少し

残寒のみぎり、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日、学業の神様で有名な“湯島天神”に、子供の受験お礼参りをしに行ってきました。

ちょうど“梅まつり”をしていたのですが、花を咲かせていた梅の木は、まだ2,3本しかありませんでした。

梅まつりに来ていた人からは、今年は寒いせいかしらね…という声も聞こえていましたが、ちらちら咲いている花を見るだけでも、春が少しずつ近づいているのを感じられ、うれしい気持ちになりました。

これからもまだ寒い日が続くと思いますが、何気なく通っている道にも、ちょっと意識してみてください、着実に春の訪れを感じられると思いますよ。

 

《政策局 舘 よう子》

 

 

梅の木には花がちらちらと

 

猫柳も、白い花穂が顔を出していました

 

 
 

頑張れ東北!生保の仲間たちに想いを寄せて

 あの大震災から1年が経とうとしている。

 1月の連休を使い、磯村副委員長と共に、ユニオンネットに寄稿してくれた被災地組合員の現在の生活環境、連合ボランティアで訪れた被災地復興の現状を確かめるべく、被災地を訪れた。

 2012年1月9日朝、10ヶ月が経つ石巻市女川(おながわ)の町に立った。どの入り江の海も、川も、何も無かったように穏やかである。もっと早く来るべきだったとの思いがある。死者15,845人、行方不明者3,339人、避難生活者341,411人、生保組合員も20名近くの方々が亡くなった。(2012年2月1日現在。)

 2011年3月11日14時46分、多くの人々は仕事中であった。

 あの日、事務所・活動地域・自宅との動線を、震災が寸断し、津波が押し流した。

 あの時の仲間たちの日常を改めて想わざるを得ない。怖かったと思う、寒かったと思う。

 

 漁港、現在はそこから仕事と生活の匂いと音が消えている。遮る物は殆ど無く遠くまで見通せる。湾の反対側工業港ではいくつかの工場が既に煙を上げて操業している。パルプが流れ出しヘドロと成っていたのはこの辺りだろうか。聞けばついこの間まで、ここを大量の瓦礫が覆い、衣類が散乱し、生活の跡が痛々しく覆い尽くしていたという。それも今は瓦礫と砂混じりの更地になっている。

  

『がんばろう石巻』のたて看板。 

その脇には献花、額に入った尋ね人の写真、千羽鶴。時間の止まった静けさが辺りを支配していた。

 何故、自然はここまで酷いことをするのだろう。

 被災直後から1年という時間の経過に伴い、匂い・景観が少しずつ復興へ向けて変わってきたという。それは自然にそうなったのではなく、多くの人々が力を合わせ着実に進めて来ているからである。大きな大きな「力」を感じる。確かに、目視できる真新しい建物、真新しい踏み切り、真新しい信号機が見られる。

 しかし残念ながら、今はまだ、そこに生活の喧騒はなく、生活の匂いがない無機質な更地が広がっている。この静寂と遮るもの無く一面にひろがる視界は、やはりここへ立ってみなければ分からないだろう。この静寂が、近いうちに、本当に近い内に、また生活の活気にかき消され、視界が生活の砦に遮られる日を期待したい。何よりも「生活」の回復を急がなければならない。われわれは仕事をして生きていかなければならない。

 われわれは、今回の大震災を、生活や仕事、家族や地域の在り方の教訓とし、静かに受け止めるしかないのかもしれない。そしてそれを伝え、決して忘れないことだ。

 「東日本大震災」という未曽有の大災害が発生し、2011年は、まさに歴史に刻まれる一年となった。残念ながら、本格復興には、まだ多くの時間が掛かるものと思われる。余りにも大きな犠牲を伴った今回の大震災、生命保険の重要性のみならず、それをお届けする仕事の役割の重さを改めて認識する機会となった。あの未曽有の事態の中、営業職員・社員のみなさんが、懸命にお客様の安否確認や保険金の支払いに奔走し、他のチャネルでは決して為し得ない役割を発揮されたことに、内外から大きな評価を頂いているところである。

 同じ産業人として、大変に誇りに思うとともに、日頃から地域と密着した活動があったからこそ、困難な状況の中でも、地域への貢献を果すことができたのだと思う。今後ともこの貴重な教訓を活かし、生保産業の社会的使命達成のためにも、日常的な活動の中で、お客様とのコミュニケーションをシッカリと継続し続けることが大事だと痛感する。

 こうした中、被災地組合員のみなさんは大震災を乗り越えて再び歩み始めておられる。現地ではまだ、忍耐と努力が続く。私たち生保労連も、「絆・つながり」を大切に、被災地組合員の皆さんに寄り添いながら、新たな気持ちで生保産業の社会的使命の達成を目指して行きたい。 

 立ち上がれ東北。がんばろう日本。

 改めて、亡くなった多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご家族や友人を失くされた方々、未だに避難生活を余儀なくされておられる方々に、心よりお見舞いを申し上げ、そしてこれからも、心から応援します。  

※訪問地は宮城県女川町、石巻市から亘理町にかけて、磯村生保労連広報委員長と共に。

          明治安田生命労働組合東北地区副委員長佐藤伸氏の運転、同行に感謝します。

           中央執行委員長 佐藤 正幸

オリンピックの年に思うこと

 

特別中央執行委員の岩井です。昨年のこの時期のブログでも書きましたが、引き続き連合で働いています。是非、連合の動きなどを聞いた時は、「あいつがいるんだ」と思ってください。

さて、今年は4年に1度の閏年です。ということはオリンピック(夏)の年でもあり、これからもっともっと盛り上がってくるのではないかと思います。

個人的には、公務員ランナーの川内選手に注目しています。彼は実業団チームにも所属せず、普段は県立高校で働きながら練習を重ね、マラソンの大会に参加し実績をあげてきました。普通なら42キロを走った後は、しばらく調整でレースには参加しないらしいのですが、そんなこともかまわず1カ月に2つのレースに参加することもあるそうです。

とにかくマラソンが好きで負けたくなく、自分ができる全てを出し切って、ゴールした後倒れこむ姿が印象に残っています。是非、この「全力」の姿勢でオリンピックの切符を勝ち取っていただきたいと思います。

ところで、皆さんは何か最近「全力」という姿勢で取り組んでいますか?

自分のことを考えてみると、最近は、楽なほう楽なほうへ逃げており、恥ずかしい限りです。。。新しい年を迎えた今だからこそ、何か「全力」で取り組むことを見つけてみようかと思う今日この頃です(もちろん仕事以外で・・・)。

樋口一葉ゆかりの本郷菊坂を歩く

嘱託として、主に労働関係のアドバイスと調査を担当している佐藤です。時々、東京地裁の労働審判員として、個別労働紛争の調停・審判にも携わっています。

さて、生保労連の事務所のある文京区は坂が多く、東京都内の約3分の1、113も名の付いた坂があります。労連本部も、三組坂、清水坂、実盛坂、中坂などに囲まれた場所にあります。事務所を出て三組坂に上る道は「ガイ坂」と呼ばれていますが、ガイは「芥」、つまり昔はゴミ捨て場だったらしいという、笑えぬ話もあります。

また、文京区には明治以来、漱石や鴎外をはじめ多くの文豪・文人が暮らし、数々の名作の舞台ともなっています。区は「文(ふみ)の京(みやこ)」と称して、いろいろな文化事業や観光の振興に取組んでいます。

そんな坂と文人たちゆかりの文京区で、今回ご紹介するのは本郷菊坂です。文学ファンならご存知のように、樋口一葉(夏子)が18歳から約3年、母妹と女3人の借家暮らしをした所です。坂の途中には一葉が金策に通った伊勢屋質店の土蔵も残り、近くの旧丸山福山町が24歳で終焉の地となりました。

昨年末、私はカメラを提げて本郷界隈を散策し、一葉旧居跡を訪ねました。当時は、菊坂下町といわれ、借家は坂の途中の階段を下り、路地を曲がった崖下の窪地にありました。突当たりの石段の左側には木造3階建ての古家が路地を被さるように建っています。一家は、友人が世話してくれた洗い張りと夜なべの針仕事で細々と生活をつないでいたそうです。

その洗い張りや生活用水に使っていた共同井戸が今も残されています。当時は、つるべ式だったそうですが、今はポンプ式です。井戸の貯水槽には、木のふたがしてあり、静かに見学して下さいという注意書きが貼られています。一葉ブームで見学者が増えてご近所が迷惑しているからという話です。でも、そこは明治の庶民の暮らしぶりと時間を感じさせてくれる一角です。

振り返ると、午後の日に照らされ椿の花が鮮やかな紅色に染まっていました。まるで、貧しくも文学への熱い思いを胸に夭折した一葉に手向けられているように。皆さんも、機会がありましたら、文京区の坂と史跡を静かに散策していただければと思います。

「一葉の汲みし井戸の端(は)寒椿」  菊坂下にて

東京タワー

新年あけましておめでとうございます。
8月より生保労連で産業政策を担当しております西脇です。

平成23年は、なでしこジャパンの大活躍といった明るい話題も一部ありましたが、ほとんどは3月の東日本大震災という未曾有の大災害、そしてその後の福島原発事故と、 さらに欧州の経済危機と暗い話題だったような気がします。

年も改まり、『辰年』平成24年、今年は明るい話題が沢山でてくることを期待したいものですね。

さて、私は4月より東京単身生活をしております。
昨年末のクリスマスに兵庫から家族が上京し、夜、東京タワーに行きました。

最近はスカイツリーがなにかと話題になっていますが、東京タワーも捨てたもんじゃありません。

非常に沢山の人でにぎわっていましたし、ハートマークもついたライトアップがとてもきれいで、子どもたちも喜んでました。

東京に来て8ヵ月が過ぎましたが、殆ど東京の名所等を訪れていないことに、改めて気付きました。

これからは、時間を見つけて、いろいろと名所めぐり等をしてみたいと思います。

では、このブログを読まれている方にとって、平成24年『辰年』がよい年でありますように!