生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

もっと、耳を澄まそう、眼を開こう

 みなさん、ご無沙汰しております。委員長の佐藤です。8月の定期大会で委員長3期目に入りました。今年度も、宜しくお願いいたします。

 

 ここ1-2年、視力が落ちてきました。抵抗し難い加齢のせいです。眼鏡も鬱陶しい。結果として本を読まなくなった。ましてやスマホをやである。

少し不謹慎ではあるが、まだまだ忍耐と努力が続き読書どころではない被災地、あの「東日本大震災」の間接的な影響かもしれないと思っている。

大震災→電力不足→節電→通勤車内の暗転→字が見えない。必然、車内を観察する機会が大いに増えた。

 

足を投げ出す、足を組む(足が長いのは分かった、深く腰掛けなさい)、網棚に鞄を横に置く(沢山の人が利用できるように荷物は縦か立てて置く)、携帯・スマホの操作距離を確保しようと肘を張る(どうせfacebookかゲームだ)。

えらそうに言うが、小生が新聞を読む時はタテ二つ折りして遠慮して読む(余談であるが、最近の日経の記事組みはこの習慣を無視していて読み難い)

前の座席は隙間だらけ(もう一人座れるのに)、ましてや、優先席で傍若無人にも朝のメイク” (彼女たちには他の客は認知の対象外だそうだ)

いずれにしても、配慮の無い無神経な光景が目に付き、最近は、性急、頑固にもなってきた。対抗策として無言の警告(意地悪”)を試みる。「注意する」のは怖い、刺されるかもしれない。

長い脚にはカバンの端を当ててみる。横に置いた鞄の上には鞄を放り上げてみる。電車の揺れを利用して携帯肘を押し返してみる。

こちらも大人げないが、十中八九、「あっ、済みません!」と居住まいを正す。

まだまだ世の中捨てたもんではない。幸いにもまだ、殴られたことはない。

“化粧女人ゲーム小僧だけはいくら睨みつけても殺気を送っても、まるで反応がなく無視される。

 

 昔々、社会学者のマクルーハンが「印刷技術と通信技術の発達が人間の活動領域を広げた」と言った。また、動物の本能の中にある生理的な距離感(個体距離・闘争距離・臨界距離・社会距離)を掴みだしたE・モリス、エドワーズ・T・ホール、ロレンツ等々の比較行動学者をも悩ませる、あるいは予言した通り、現代人に「距離と時間の混乱」が起きているような気がする。更に、心象としての距離感、「遠くて近い仲」「友遠方より来る」「遠くの親戚よりも近くの他人」にも混乱が起きているような気がする。

文明の発展により、人間は地の果て、月にまで一人で行けるようになった。

通信技術が仲間から遠ざかる孤独の恐怖を克服した。一方で、隣人を認知しない鈍感さと空虚さも生み出している。

 

車内で耳を澄ませば、「どこかの会社の某部長が部下に嫌われていること」「あの家の夕飯はまた、カレーであること」「あの人は本当は悪い人ではないこと」「TちゃんはIちゃんが好きだけど言えないこと」「あの夜は残業ではなく飲み会だったこと」が聞こえてくる。

 世の中では愛すべきいろいろなことが起きている。見過ごせない理不尽なことが起きている。

「耳を澄まそう!」「目を開こう!」そして「席を譲ろう!」

それが労働組合の原点だ。

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