息子のこと
2012年3月19日
震災から1年、貴い命を落とされた方々にあらためて哀悼の意を表します。
今回は私(鈴木)から息子のことをお話させていただきます。世間では難しい年ごろといわれる14歳、中学2年生(4月からは3年生)です。成績は中くらいでしょうか。部活は野球部で内野を守っていますが、補欠のようです。家ではとにかく親がうっとうしいらしく、会話は必要最小限、いや必要なことも話せてないかもしれません。親に反抗するというわけではないのですが、小学生くらいまであれほどべったりだった母親にまでそうなのですから、まして父親など、教師もしくはそれ以上にうっとうしい存在なのでしょう。
いまの子どもたちの特徴かもしれませんが、あまり物欲がないのは驚きです。一人息子だからといって贅沢させているつもりはありません。節目で何か買ってやるといっても「とくにいい」と。私たちの子どものころでは考えられません。いいのか悪いのか、とにかくギラギラしたところがないのです。
友だちとの関係は大事にしているようです。学校ではいろいろと難しいこともあるようですが、自分なりに落とし前をつけようとしているようです。とはいえ、自分で抱えきれなくなることもあり、普段から「必要なことはちゃんと話せよ」と口酸っぱくいっています。あまり話さないのは周りに心配をかけないようにしている面もあるので、難しいところです。
そんな息子を見ていて、自分も同じ年のころは似たようなものだったという気もしますが、そうでないような気もします。何が違うのか。一つ思うのは「希望」ということです。私たちの子どものころも、輝く希望などがあったわけではありません。ただ、漠然とそれらしきものはもてたし、社会もなんとなく進歩していくように思えた。たとえ幻想でも、そう思えるかそうでないかでは大きく違う気がするのです。政治や私たち労働組合は、そのあたりをもっと意識すべきかもしれません。
息子は毎日、早朝から練習に出かけます。土日もありません。試合があっても出る機会はあまりないのに、それでも愚痴をいわず毎日練習に行く。そんながんばりが、どういう形かわかりませんが、木が芽吹き花咲くように、いつか報われることを願ってやまないのです。
<組織・政策担当 鈴木>
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