生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

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樋口一葉ゆかりの本郷菊坂を歩く

嘱託として、主に労働関係のアドバイスと調査を担当している佐藤です。時々、東京地裁の労働審判員として、個別労働紛争の調停・審判にも携わっています。

さて、生保労連の事務所のある文京区は坂が多く、東京都内の約3分の1、113も名の付いた坂があります。労連本部も、三組坂、清水坂、実盛坂、中坂などに囲まれた場所にあります。事務所を出て三組坂に上る道は「ガイ坂」と呼ばれていますが、ガイは「芥」、つまり昔はゴミ捨て場だったらしいという、笑えぬ話もあります。

また、文京区には明治以来、漱石や鴎外をはじめ多くの文豪・文人が暮らし、数々の名作の舞台ともなっています。区は「文(ふみ)の京(みやこ)」と称して、いろいろな文化事業や観光の振興に取組んでいます。

そんな坂と文人たちゆかりの文京区で、今回ご紹介するのは本郷菊坂です。文学ファンならご存知のように、樋口一葉(夏子)が18歳から約3年、母妹と女3人の借家暮らしをした所です。坂の途中には一葉が金策に通った伊勢屋質店の土蔵も残り、近くの旧丸山福山町が24歳で終焉の地となりました。

昨年末、私はカメラを提げて本郷界隈を散策し、一葉旧居跡を訪ねました。当時は、菊坂下町といわれ、借家は坂の途中の階段を下り、路地を曲がった崖下の窪地にありました。突当たりの石段の左側には木造3階建ての古家が路地を被さるように建っています。一家は、友人が世話してくれた洗い張りと夜なべの針仕事で細々と生活をつないでいたそうです。

その洗い張りや生活用水に使っていた共同井戸が今も残されています。当時は、つるべ式だったそうですが、今はポンプ式です。井戸の貯水槽には、木のふたがしてあり、静かに見学して下さいという注意書きが貼られています。一葉ブームで見学者が増えてご近所が迷惑しているからという話です。でも、そこは明治の庶民の暮らしぶりと時間を感じさせてくれる一角です。

振り返ると、午後の日に照らされ椿の花が鮮やかな紅色に染まっていました。まるで、貧しくも文学への熱い思いを胸に夭折した一葉に手向けられているように。皆さんも、機会がありましたら、文京区の坂と史跡を静かに散策していただければと思います。

「一葉の汲みし井戸の端(は)寒椿」  菊坂下にて

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