生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

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アルゼンチン・ブエノスアイレス出張

生保労連ブログ2回目の登場になります、副書記長の松田です。よろしくお願いします。

前回(2022年10月)はアイルランド・ダブリンへの出張に関する内容を報告させていただきましたが、今回はアルゼンチン・ブエノスアイレスへの出張に関するエピソードをお伝えします。

生保労連が加盟している国際労働組合組織である「UNI(※)」は、部会毎(金融、商業、郵便・ロジスティクス、テレコム等)に大会および諸会議を開催しており、今般、UNI世界金融部会にて、「労働者のお金、労働者の未来 年金基金は労働組合のパワーツールとなるか?」というテーマのもと、年金基金に関する各国の取組みや意見交換が行われました。

(※)UNIとは・・・
◆ 世界150ヶ国の商業、流通、情報、金融等、サービス産業の900の労働組合が加盟する国際産業別労働組合組織であり、組合員は2000万人
◆ 商業、金融、テレコム、郵便関連、印刷、芸能・マスコミなど13の部会と女性、青年、専門職・監督職の3つの専門委員会を中心に地域レベル、世界レベルで活動を展開
◆ 日本における加盟団体は、UAゼンセン、自動車総連、生保労連、労済労連、全労金、損保労連、全信連、全印刷、印刷労連、大日本印刷労組、情報労連、日放労、JP労組、全国農団労
◆ 生保労連は、1998年に前身組織であるFIETに加盟し、2000年UNI結成から加盟し現在に至る

 

日本からは9名のメンバーで参加し、全信連(信託銀行の産業別労働組合)からは日本の年金制度全体の説明を行い、生保労連からは、私的年金や企業年金等を含めた「公私ミックス」の必要性や、労働組合としても「金融リテラシー教育」に取組むことの重要性を主張してまいりました。

また、会議だけではなく、懇親会の場を通じて、日本から参加したメンバーだけではなく、海外の方とも情報交換や親睦を図ることができ、大変有意義な出張とすることができました。

 

次に、地球の裏側にあるアルゼンチンについて、紹介します。

「世界には4種類の国がある。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンだ。」ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツが発したジョークは、1960年代までに発展途上国から先進国に成り上がった日本と、逆に滑り落ちてしまったアルゼンチンを対比するものでした。

アルゼンチンは19世紀後半から20世紀初頭まで、農牧業における比較優位を生かし、米国やヨーロッパへの大量輸出により高い経済成長率を誇りました。しかし世界大恐慌以降、政府が輸入代替戦略のもと工業促進に舵を切ったことで、投資先が分散し、農業生産及び輸出は激減することになりました。その後、一時的に好況を取り戻した時期もありましたが、基本的に保護主義に依存したことでグローバリゼーションの波に乗り切れず、現在に至るまで慢性的な高インフレと対外債務の問題に悩まされ続けています。(2024年4月のCPI上昇率は289.4%)

また、新しく就任したハビエル・ミレイ大統領は「年間インフレが140%にあるアルゼンチン経済を正常に戻すには公共事業等へのラジカルな改革が必要であり、国有報道、石油・ガス、水道・鉄道、公共事業などの民営化を強力に推進する」ことを公約に掲げており、雇用危機を危惧する労働組合とは真っ向から対立しており、市内ではデモ行進、集会等の抗議活動が日常のように行われています。

 

文化としては、前回行われたサッカーワールドカップでメッシ率いるアルゼンチンが悲願の優勝を勝ち取ったように、サッカーが非常に人気の国です。街のいたるところに、レプリカユニフォームが販売されており、ブエノスアイレスには「ボカ・ジュニアーズ」と「CAリーベル・プレート」という世界的ビッグクラブがあります。その他にもアルゼンチンタンゴやワインに牛肉、飲むサラダとして多くの国民に愛されているマテ茶がイメージされると思います。

 

会議が開催された港町の首都ブエノスアイレス自治市は、「南米のパリ」との異名を持つほどヨーロッパ風建築で埋め尽くされ、洗練された街並みが広がっています。市内には多くの美術館や劇場、公園が点在し、豊かで文化的な街であることを感じられました。市民が自らをポルテーニョ(港の住人)と称していることからも、国内の他地域と異なるブエノスアイレスの都会性が誇りにされていることを感じることができました。

ただ、街の南側は中心部と様子が大きく異なり、非常に危険な地域が広がっているため、絶対に一人で歩き回らないように厳重注意がされていました。また、外務省HPにも以下の記載があるように、危険な側面も持ち合わせている街だということを感じさせられました。

(外務省HPより一部抜粋)
「ビジャ」と呼ばれるスラム街が、高速道路の周辺や市の南側に点在しており、市の北部レティーロ駅北側には大規模なビジャが広がっています。ビジャには貧困、極貧層が密集して居住しており、各種犯罪の温床になっていることから、警察でさえも近付くことを避けようとする危険な地域です。絶対に近付かないでください。

 

最後に、アルゼンチンまでの道中で起きたトラブルについて、紹介したいと思います。

アルゼンチンは地球の裏側にあるため、直通便の運航がなく、アメリカ(JFK空港)を経由でのフライトです。東京(羽田空港)からJFK空港までは約14時間、JFK空港からアルゼンチンまでは約11時間、そしてトランジットの時間を含め、約30時間かかると聞いていたので、相当な移動になることは覚悟していました。

予定通り羽田空港を出発し、JFK空港に到着した後、次のフライトまでご飯を食べたりして過ごし、搭乗時間を迎えたので、アルゼンチン行きのゲートに行ったところ、大勢の人が様々な言語で空港職員に詰め寄り、現場は大パニックに陥っていました。


「どういうことだ?」と思い、フライト時間が表示されている画面を確認してみると、午後11時出発の飛行機が、翌日午前11時30分出発に変更になっていました。
嘘か本当かわかりませんが、空港職員曰く、「pilot missing(パイロットが行方不明)」とのことでした。。。我々は大人しく翌日まで待機し(結局午後3時出発)、約2日間かけてアルゼンチンに到着することができました。

 

コロナ禍が終わり、海外への出張や旅行をされる方も増えてくるかと思いますが、急にパイロットが行方不明になり、飛行機が離陸できないことも起こり得ますので、皆さまも余裕を持った行動を心がけていただければと思います。

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