生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

家族で湯島近辺散策

こんにちは、書記局の新井です。産業政策と社会政策を担当しています。201110月の震災ボランティア活動報告以来、ほぼ2年ぶりの登場になります。(決してさぼっていたわけでも、ブログを書くのを嫌がっていたわけでもありません!)

 

さて、私ごとではありますが、この2年間で大きく変わったのは、娘ができたことです。今、110か月になりますが、毎日、振りまわされてばかりです。

元気いっぱいの娘です

元気いっぱいの娘です

先日、子ども向けのイベントに参加するため、家族でお茶の水に出掛けました。会場につくと、娘はたくさんの参加者にびっくり。そして、どこに連れて来られたのか、何が起きているのかと、とても不思議そうにしていました。いざイベントが始まると、テレビで見たことのあるキャラクターが登場し、目を輝かせて楽しんでいました。

 

イベント後は、過ごしやすい気候ということもあって、お茶の水から生保労連がある湯島、そして本郷を散策することになりました。

湯島については、このブログでも何度か紹介されていますが、今回の散策の話をかねて、ちょっとだけ紹介したいと思います。

 

まず、このコースにした目的は、作家の小川糸さん執筆の「喋喋喃喃」(ちょうちょうなんなん)という小説に出てきた「TIES(タイズ)」という店で、妻がケーキを食べたいと言ったためです。

 

小川糸さんの作品には、映画化された「食堂かたつむり」や、ドラマにもなった「つるかめ助産院」などがあります。この「喋喋喃喃」は湯島をはじめ、谷根千とよばれる谷中や根津、千駄木、本郷などを舞台にした、ちょっと大人の話です。その中には、先ほどの「TIES」や「オザワ洋菓子店」「すし乃池」「しんすけ」など実在する店が登場し、湯島近辺を知っている方にとっては、物語が一層面白く感じるのではないでしょうか。ちなみに、小説で紹介された「オザワ洋菓子店」の「苺シャンティ」(苺と生クリームにチョコレートをかけたお菓子)はすでに購入済みです。

 

お茶の水から、聖橋を渡って湯島方面に向かい、途中、レーズンウィッチで有名な小川軒や親子丼で有名な「鳥つね」を通り過ぎて、湯島天神でお参りをすることになりました。湯島天神では、教えたこともないのに、娘が手をあわせてお参りしているのにびっくりしました。大人の見様見真似でしょうか。

 その後、天神下の谷中珈琲店で、とても濃いアイスコーヒーを飲み、「しんすけ」を横目に近辺をブラブラしていました。普段、仕事で良く通っている道も、休日は随分様子が違って見えます。例えば、湯島や本郷にラーメン店が多いのは知っていましたが、カレー店も負けず劣らず多いことに気づきました。

 

さて、目的地である「TIES」につくと、娘は遊び疲れたのか、ぐっすりとベビーカーで熟睡。しかしお店に入る際、店内が狭く、ベビーカーをたたむように言われてしまったため、娘を起こさないように、季節のケーキの「いちじくのショートケーキ」と「栗のタルト」をテイクアウトすることにしました。残念ながら店の雰囲気は味わえませんでしたが、家で食べたら、ケーキは絶品!今度は娘が起きている時に行きたいですね。家族で良い休日を過ごすことができました。

この他にも、湯島近辺でおいしいお店が知りたいという方は、この秋の読書の友としてぜひ「喋喋喃喃」を読んでみてください。その中にでてくるお店にきっと行ってみたくなると思います。

 

震災から2年半を経て…

みなさんこんにちは。

今年の821日より、生保労連中央執行委員長に就任いたしました浜田一郎です。このブログでは一年間のご沙汰でした。引き続き、よろしくお願いいたします。長く続いた夏の暑さもようやく去り、朝晩はすっかり過ごしやすい気候となりましたね。

 

 さて、昨年10月18日に投稿したブログの続きとなりますが、今回は「東日本大震災を風化させてはならない」という想いを込めて、私の震災当日の状況をお話しいたします。

2011311日(金)、まさに大震災の当日に、私は福島県いわき市の沖合で船釣りをしておりました。

 

異常な数の当日の釣果です

 

昔からよく、海が荒れる直前には魚は荒食い(積極的にエサを食べてくる状態)をすると言われてきましたが、この日がまさにその状態で、自然の中では人智の及ばないことがたくさんあるのだと実感しました。

 

あまりにも釣れるので、いつもより早い時間に終了し、平潟の港に戻ったのが1340分位でしょうか。港で仲間と30分程、釣り談義を交わし帰路につきました。

 

車を運転している最中、常磐道の那珂インターの手前で14時46分を迎えました。路肩に急停車し、まるでトランポリンで跳ねているような状態で待機していました。手前の道路は左右から山ができる様に隆起し、はるか先の路肩は道路の3分の1まで崩れていきました。揺れが収まったと同時に道路の状態を確認し、急いで高速道から脱出しました。その時すでに一帯は停電しており、信号機は無灯の中、どうにか自宅に戻りました。

その後2日間の停電と断水の中で生活することになりましたが、私が持っているアウトドア用の各ツールと沢山の魚が大いに役立ち、何とか事なきを得ました。

 

しかしながら、あの恐怖感や不安感は今でも忘れられません。また、いまだに震災前の生活を取り戻すことができない方が多くいることを忘れてはなりません。

生保労連の中央執行委員長として、今後も長い目で被災地のみなさんを支援していきたいと考えています。ともに、がんばりましょう。