2012年2月03日
あの大震災から1年が経とうとしている。
1月の連休を使い、磯村副委員長と共に、ユニオンネットに寄稿してくれた被災地組合員の現在の生活環境、連合ボランティアで訪れた被災地復興の現状を確かめるべく、被災地を訪れた。
2012年1月9日朝、10ヶ月が経つ石巻市女川(おながわ)の町に立った。どの入り江の海も、川も、何も無かったように穏やかである。もっと早く来るべきだったとの思いがある。死者15,845人、行方不明者3,339人、避難生活者341,411人、生保組合員も20名近くの方々が亡くなった。(2012年2月1日現在。)
2011年3月11日14時46分、多くの人々は仕事中であった。
あの日、事務所・活動地域・自宅との動線を、震災が寸断し、津波が押し流した。
あの時の仲間たちの日常を改めて想わざるを得ない。怖かったと思う、寒かったと思う。
漁港、現在はそこから仕事と生活の匂いと音が消えている。遮る物は殆ど無く遠くまで見通せる。湾の反対側工業港ではいくつかの工場が既に煙を上げて操業している。パルプが流れ出しヘドロと成っていたのはこの辺りだろうか。聞けばついこの間まで、ここを大量の瓦礫が覆い、衣類が散乱し、生活の跡が痛々しく覆い尽くしていたという。それも今は瓦礫と砂混じりの更地になっている。
『がんばろう石巻』のたて看板。
その脇には献花、額に入った尋ね人の写真、千羽鶴。時間の止まった静けさが辺りを支配していた。
何故、自然はここまで酷いことをするのだろう。
被災直後から1年という時間の経過に伴い、匂い・景観が少しずつ復興へ向けて変わってきたという。それは自然にそうなったのではなく、多くの人々が力を合わせ着実に進めて来ているからである。大きな大きな「力」を感じる。確かに、目視できる真新しい建物、真新しい踏み切り、真新しい信号機が見られる。
しかし残念ながら、今はまだ、そこに生活の喧騒はなく、生活の匂いがない無機質な更地が広がっている。この静寂と遮るもの無く一面にひろがる視界は、やはりここへ立ってみなければ分からないだろう。この静寂が、近いうちに、本当に近い内に、また生活の活気にかき消され、視界が生活の砦に遮られる日を期待したい。何よりも「生活」の回復を急がなければならない。われわれは仕事をして生きていかなければならない。
われわれは、今回の大震災を、生活や仕事、家族や地域の在り方の教訓とし、静かに受け止めるしかないのかもしれない。そしてそれを伝え、決して忘れないことだ。
「東日本大震災」という未曽有の大災害が発生し、2011年は、まさに歴史に刻まれる一年となった。残念ながら、本格復興には、まだ多くの時間が掛かるものと思われる。余りにも大きな犠牲を伴った今回の大震災、生命保険の重要性のみならず、それをお届けする仕事の役割の重さを改めて認識する機会となった。あの未曽有の事態の中、営業職員・社員のみなさんが、懸命にお客様の安否確認や保険金の支払いに奔走し、他のチャネルでは決して為し得ない役割を発揮されたことに、内外から大きな評価を頂いているところである。
同じ産業人として、大変に誇りに思うとともに、日頃から地域と密着した活動があったからこそ、困難な状況の中でも、地域への貢献を果すことができたのだと思う。今後ともこの貴重な教訓を活かし、生保産業の社会的使命達成のためにも、日常的な活動の中で、お客様とのコミュニケーションをシッカリと継続し続けることが大事だと痛感する。
こうした中、被災地組合員のみなさんは大震災を乗り越えて再び歩み始めておられる。現地ではまだ、忍耐と努力が続く。私たち生保労連も、「絆・つながり」を大切に、被災地組合員の皆さんに寄り添いながら、新たな気持ちで生保産業の社会的使命の達成を目指して行きたい。
立ち上がれ東北。がんばろう日本。
改めて、亡くなった多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ご家族や友人を失くされた方々、未だに避難生活を余儀なくされておられる方々に、心よりお見舞いを申し上げ、そしてこれからも、心から応援します。
※訪問地は宮城県女川町、石巻市から亘理町にかけて、磯村生保労連広報委員長と共に。
明治安田生命労働組合東北地区副委員長佐藤伸氏の運転、同行に感謝します。
中央執行委員長 佐藤 正幸
2012年2月01日
特別中央執行委員の岩井です。昨年のこの時期のブログでも書きましたが、引き続き連合で働いています。是非、連合の動きなどを聞いた時は、「あいつがいるんだ」と思ってください。
さて、今年は4年に1度の閏年です。ということはオリンピック(夏)の年でもあり、これからもっともっと盛り上がってくるのではないかと思います。
個人的には、公務員ランナーの川内選手に注目しています。彼は実業団チームにも所属せず、普段は県立高校で働きながら練習を重ね、マラソンの大会に参加し実績をあげてきました。普通なら42キロを走った後は、しばらく調整でレースには参加しないらしいのですが、そんなこともかまわず1カ月に2つのレースに参加することもあるそうです。
とにかくマラソンが好きで負けたくなく、自分ができる全てを出し切って、ゴールした後倒れこむ姿が印象に残っています。是非、この「全力」の姿勢でオリンピックの切符を勝ち取っていただきたいと思います。
ところで、皆さんは何か最近「全力」という姿勢で取り組んでいますか?
自分のことを考えてみると、最近は、楽なほう楽なほうへ逃げており、恥ずかしい限りです。。。新しい年を迎えた今だからこそ、何か「全力」で取り組むことを見つけてみようかと思う今日この頃です(もちろん仕事以外で・・・)。
2011年9月05日
こんにちは、生保労連委員長の佐藤です。
東日本大震災から6ヶ月が経ちました。あらためて、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、被災地の一日も早い、生活そして産業の復興を衷心よりお祈り申し上げます。
この間、何よりも、生保産業人として感動し、嬉しく誇りに思うことは、被災直後から困難な状況の中、お客さまの安否確認、お支払い等のご案内にいち早く、そして親身な活動を展開されて来た営業職員・機関長、現地組合員の皆さんの活躍です。
私自身、様々な方面の方々から、賛辞とお礼、労いの言葉を頂きました。そのことを、まだまだご苦労が続く被災地組合員の皆さんに、まずは、声を大きくしてお伝えしなければなりません。
前回までは、「連合復興ボランティア」への参加報告を連載してきました。
活動に参加した役職員全員、押し流された市街地に呆然と立ち、被災地の方々と接し、また、瓦礫・ヘドロとの格闘にヘトヘトになりながらも、復旧へ向けた活動に「自分が参画し、少しでも貢献が出来た」という生涯忘れ難い事実に対して、大きな充実感と強い連帯感と被災地との絆を労連組織に持ち帰りました。
あれから半年が経ちました。
震災前のことが随分と遠い昔のことのように感じられます。それ程に、震災以降、「日本では濃密な時間が流れている」ということなのだと思います。
元気は、与えるものでももらうものでもありません。“自ら出すもの”です。
それまでは、元気な者がしっかりと支え続けること、それが我々の使命です。
大震災からの復興へ向けた支援活動はまだまだ続きます。
これからも、被災地の再生を、「心で繋がった絆」を通して応援し、見守っていきたいと思います。
さて、生保労連は8月24日に定期大会を開催し、2011年度の運動方針等を確認いただきました。
設立40周年を機に共有した「Newチャレンジ宣言」。「社会から共感・信頼をいただける運動の実現」を目指して、活動を進めていきます。
「頑張ろう、絆の国にっぽん!」
2011年4月12日
はじめまして、産業政策委員会担当の新井です。
東日本大震災により被害を受けられた皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
地震からほぼ1カ月が経過しましたが、被災地の状況をテレビや新聞でみると心が痛む日が続きます。
生保労連でも、被災された方々に少しでも役立てていただこうとカンパなどに取り組んでいるところです。また、先週も上部団体である連合からの要請を受け、宮城地区にボランティアの第一陣を派遣し、今後も順次派遣していくこととしています。
さて、関東地方では、計画停電は当面実施されないことになりましたが、今後、暖かさが増すにつれ、節電意識をより高めていかなければと思っています。
私が住むマンションでは、多くの方が夏場の暑さ対策として、バルコニーにゴーヤなどのつる性植物を栽培し、「緑のカーテン」をつくっています。生い茂る葉がつくる日陰と葉からでる水蒸気(蒸散作用)により、そこを通ってくる風は、まるで天然のエアコンのようです。
今住んでいるところでは、これまで3回の夏を経験していますが、未だリビングにはエアコンを設置していません(ただ、さすがに昨年の夏はエアコンを購入しようか迷いました)。
今年も4月の終わり頃から準備をして、ささやかながら節電対策になればと考えています。是非、ゴーヤが好きな方は試してみてください。朝夕の水やりと週一回の液肥やりだけですので簡単にできます。
緑のカーテン(のイメージ)
2011年3月25日
中央書記長の津田です。
東北地方太平洋沖地震により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
かく言う私も、両親が、甚大な被害を受けた宮城県石巻市のすぐ近くの出身ですので、多くの親戚が被害に遭いました。まだ3名の安否がわからない状況です。
どうすることもできない無力さを感じながら日々過ごしているところです。
そんな中、私たち生保労連が加盟する労働組合の全国組織である連合の取組みとして、「街頭募金活動」に今朝参加してきました。街頭でカンパを募り、被災された自治体に支援金をお送りする取組みです。
JR秋葉原駅前で募金箱をもって、通勤時間の1時間、職場に向かわれる皆さんにカンパへの協力を呼びかけました。
すでに様々な形で被災地支援を行っている方も多いと思いますので、実際にカンパをしてくださる方はそれほど多くはありませんでしたが、それでも私の募金箱だけでも数千円ものご協力をいただけました。
「頑張ってください」と声をかけてくださる方もありました。
たくさんの方が震災に心を痛め「何か力になりたい」と思われているということを実感し、私自身「これからもできることを一つひとつ行っていかなければいけない」とあらためて考えた次第です。
街頭でカンパを呼びかけ
いまだ行方不明の方が一分一秒でも早く、お一人でも多く救出されることを、そして被災地の一日も早い復興を願ってやみません。