2015年10月30日
副委員長の小川です。
二回目の投稿となり、生保労連に携わって一年が過ぎました。一年は早いものですね。
若いときには、早く年を重ね、立派な社会人として認められたい。一人前の大人として見てもらいたい。などと思っておりましたがさすがにこの年齢(63歳)になると、「時間よ!止まれ」と言いたくなります。
先日届いた連合の月刊誌を見て古賀前会長の若いころの話(学生時代⇒社会人⇒労働組合との関わり)など知ることが出来ました。
先日の定期大会を機に退任されましたが、「本当に長い間ご苦労様でした」と言いたくなります。組合活動を36年間務められ、きっと隅々まで組合というものを理解されていた事でしょう。
それに比べれば私の10年間は恥ずかしいばかりです。
私もこの立場になる以前は「銀行員生活20年(合併により退社)⇒電気工事業勤務8年(生死を分ける事故に遭い職業替え)⇒保険業界14年」と結構必要のない経験もしました。(内容を書けば長くなるのでまた別の機会に)
今の仕事は年齢的にも大変なことは分かっているつもりですが、関係する皆さんの生活を少しでも向上させることができたら、皆さんに役立てばと、老体にムチ打って頑張るつもりです(ロータリークラブの人たちに言わせれば60代はまだまだ若造だと言われていました…)。
でも、良いことも沢山あります。人と会う機会・話す機会がどんどん増え、仲間に共感してもらうことができ、労働組合がなぜ必要でどんなことをしているのかやっと理解できたと言ってくれた時には喜びを感じます。
一歩ずつではありますが、目指すところに前進しているのがわかるからです。
東へ西へと動き回っているため、東京での生活は月10日位です。移動中の電車やバスで景色を眺めていると、地域により家の造りや田んぼや畑の造りなどもかなり違うことに気づかされ、勉強になります。飛行機移動では、JAL名人会(JALグループの機中で聴くことができる「落語・演芸」のオーディオ番組)を聞くのが楽しみになりました。その中の話に
人は年を取ると暑さ寒さに対し感覚が鈍くなるようで。…あるとき熱中症で倒れた人がお医者さんに尋ねたらしいです。
「人が暑い暑いと言っているのに私はあまり感じなくなったのだけど」と質問したら医者が言ったそうです。「それはね爺さん、今のうちから焼き場に行く準備をしているんですよ」
…(笑)
私はまだ暑い寒いも感じております。そんなことを感じながらもう少し今の立場で残された社会人生活を全うしていきたいと思っております。また皆さんにご協力をお願いすることがあると思います。どうかまた一年宜しくお願い致します。
2015年10月15日
皆さん、こんにちは。今年9月から連合に派遣されている特別中央執行委員の加納です。
初めてのブログ投稿ですので、まずは簡単な自己紹介をしたいと思います。
〈自己紹介〉
先月40歳を迎えた1975年生まれ。身長は172㎝、体重は59キロ(ここ最近は増加基調)。
まだ連合に着任してからの期間は短いのですが、この10月からは主に経済政策、財政まわりに携わっています。何卒よろしくお願いいたします。
〈最初に〉
さて、今日は「認知症」のことに触れたいと思います。ただ、最初に誤解がないよう「認知症」は決して恐ろしい病気ではない、悲観するものでもない、誰もがなる可能性のあるもので、周りの支援などにより変わらず穏やかに生活できるものであることを言っておきたいと思います。
今後も「認知症」を患っている人の数はますます増加していくようです。小さなことからでも自分は何をできるのか、手伝えるのか、自分の現在進行形の状況も交えながら、話を進めていきます。
〈認知症を患う人の数〉
今年1月、厚生労働省は「全国で認知症を患う人の数が2025年には700万人を超える」との推計値を発表しました。認知症高齢者は2012年時点で全国に約462万人と推計されており、約10年で1.5倍にも増える見通しで、65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症に罹患する計算となります。
〈なぜ「認知症」の話をするのか〉
それは私の身近な人が、今年8月に「認知症」と医者に診断されたからです。
〈認知症サポーター講座を受講してはいたのですが・・・〉
昨年、機会があり「認知症」の正しい知識、対応の仕方の基本を学ぶ「認知症サポーター講座※」を受講しました。この講座は、認知症の正しい知識を得ること、対応の仕方の基本を学ぶこと(3つの「ない」1.驚かせない 2.急がせない 3.自尊心を傷つけない)等を目的としたものです。
実際には、「自尊心を傷つけない」ように話をするのはとても難しい場面があると感じています。そう感じた具体的な場面を紹介したいと思います。
きっかけは医者から「車の運転は止めるように」と言われたことでした。
○自分はこれまで無事故・無違反だし、何ら問題なく車を運転してきている。
○電車や徒歩での生活はできたとしても、やっぱり車で出掛けたい時や、車でないと行けない場所もある。
○「車を運転しないように」となぜ医者からそこまで言われないといけないのか。そんな権限はあるのか。
○認知症の本を読んでチェックしても、自分が認知症とは思えない。医者からの一言でなぜそこまで言うのか。
しかし、認知症の症状が、本当に運転を止めないといけない程度なのか私に測ることはできません。それでも車の運転はやっぱり心配で、この機に止めてほしいと思います。
「事故を起こすとは思わないよ。でも万が一のことが心配だから、運転を辞めた方が良いんじゃない?車がなくても変わらない生活ができるよ」と穏やかに話しても、本人は「車の事故なんて誰でも遭遇する可能性はあるのは変わらない、自分は事故に遭わないようにこれまでも慎重に運転してきている」と言うのです。
言っていることは筋が通っているし、いくら周りの人が心配していることを伝えても、本人が納得できる話でもない。でも、やっぱり車の運転は心配で、この機に止めてほしい。その繰り返しが暫く続きました。
結局、車は売却することになりました。
本人は腹の底からは納得していませんし、できるものでもないと思います。こちらも無理に納得させようという気持ちで話をした訳ではないのですが、一連のやりとりで「自尊心を傷つけない」ように話すことはできなかったと思っています。
※認知症サポーター
認知症サポーターとは、認知症について正しく理解し、認知症の人や家族を温かく見守り、支援する応援者。全国に約634万人のサポーターが誕生しています(平成27年6月末現在)。認知症サポーターやその養成講座について、詳しくは以下の厚生労働省のホームページも是非見てください!
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000089508.html
〔オレンジリング(認知症サポーターの印 ※養成講座を受講するともらえます)〕
〈今後〉
「認知症」で1番苦しいのは本人だと思います。一方、私はわたくしで、いままで以上にできることを、小さなことも含めて積み重ねていきたいと思っています。
「認知症」についての知識を既にお持ちの方も多くいらっしゃるかと思いますが、一人でも多くの方が正しい知識を持ったうえで、「認知症」の方にもさりげないサポートをして貰えたらと思います。
そして最後になりますが、「認知症」に限らず、困っている人がいれば助けようとすること、変わった様子の人がいないか気にかけること、そんなことが普通に誰に対してもできる人は素敵だと思います。私はまだまだできていません。すべてのことに応えるのは難しいことですが、そんな「気持ち」を大事に毎日過ごしていきたいと考えています。
2015年9月30日
書記局の鈴木です。この8月から労働局を担当しています。組合員のみなさんの労働条件を「安心と働きがい」あるものにするのが仕事です。
唐突ですが、私には18歳の息子がいます。いわゆる受験生です。誰に似たのか、ファッションに興味をもち、いろんな服を揃えています。本人いわく、受験生の数少ない楽しみ・息抜きだそうです。
ある土曜日のこと。息子が模擬試験に行くというので車で送っていくことにしました。出掛ける直前、玄関に現れた息子は、人の姿が大きくプリントされたTシャツを着ていました。なんとそれは、あのニール・ヤングではないですか!
ニール・ヤングとは、1960年代から活動しているアメリカのミュージシャン。70歳になった今も現役バリバリでアルバムを出し続けています。初期に発表された“Heart of Gold~孤独の旅路”などは、聴いたことのある方も多いのではないでしょうか。
フォーク、カントリー、ロック、轟音ノイズと、ジャンルは一つにとどまりません。ただ、あまりにも無骨で、ときには無様なほど自分をさらけ出すのには、賛否両論あるところです。
そんな人のTシャツをなぜ…?どうやら息子は、ある有名人が着ているのを見て古着屋で購入したのだそうです。名前は知っていましたが、どんな人かはほとんど知らないようでした。
ニール・ヤングは、アメリカ人、とりわけ弱い立場の人に寄り沿いながら歌ってきました。「愛と自由と平和」のロックフェスティバル“ウッドストック”にはじまり、反核・反差別を訴える曲をつくったり、イラク戦争のときにはブッシュ批判のアルバムを丸ごと一枚つくったりもしました。
今の日本とやけにシンクロする気がするのは私だけでしょうか。
車中、「これがニール・ヤングだ」と曲を流しましたが、息子が何を感じたかは?です。けれど、「動機は違っても、こんなことがきっかけで受け継がれていくのかも」と、淡い期待をもつのでした。いつか息子がニール・ヤングの歌に胸ふるわすのを想像しながら…。
2015年9月15日
暑い夏が過ぎ去り、めっきり涼しくなった今日この頃ですが、高校球児の熱闘に心を奪われた方も多かったのではないでしょうか。
優勝した東海大相模高校の小笠原慎之介投手、早稲田実業高校の清宮幸太郎選手、関東一高校のオコエ瑠偉選手など、素晴らしいスターが甲子園で躍動しました。
多くの人がなぜ高校野球を観て感動するのでしょうか。最後まで必死に戦い抜く姿、数々のドラマ、選手たちの純粋な涙・・・、本当に胸が熱くなりますね(私もよく泣きます(笑))。
そして、一発勝負の最後の闘いという「儚(はかな)さ」、「刹那(せつな)」といったものに心を揺さぶられる人も多いのではないかと思います。
今では、その片鱗もありませんが、夏が来るたび、私も35年前のあの「熱い夏」を昨日のことのように想い出すのです。
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うなだれているキャッチャーが筆者
今より10㎏近くマッチョだった筆者
2015年9月02日
皆さん、こんにちは。委員長の浜田です。
今回は、私の休日(土曜日)の過ごし方についてお話します。前々回の投稿で、私の趣味は「海釣り」であることを報告いたしました。
釣り上げた魚は必ず食べる!しかも、美味しく頂く!(美味しいお酒と共に)のがモットーです。
しかし、忙しくて帰省ができなかったり、海況が悪くて釣行ができなかったりした場合、よく行く所があります。そこは、足立区千住にある「足立市場(しじょう)」です。
(ホームページはこちら⇒ http://www.adachi-shijyo.or.jp/)
この市場は、水産物専門の中央卸売市場です。千住大橋のたもとにあります。
千住大橋といえば、松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めの場所として有名ですね。
この市場は今から400年以上前、織田信長の政権時代にできた青物市場「やっちゃば」が始まりと言われています。
市場内には、魚類を扱うお店が40~50店舗、所狭しとひしめいています。全国各地から鮮魚、加工品が入荷しており、日によって扱う魚種は違ってきます。
ここは仲買人だけではなく一般の顧客に対しても販売していますので、気軽に買うことができます。時には、私がよく行く料理店の店主と出くわすこともあります。
市場の朝は早く、私はいつも7時頃には物色を始めています。
注)良い魚は早くから売れてしまうので、お昼頃にはなくなってしまいます。
写真は、私の愛用の包丁たちと、ある日の「仕入れ」で作った「お造り」です。
新潟の鯛、静岡のいさき、富山の蛍いか、北海道のたこ、でした。
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