生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

さりげないサポートを

皆さん、こんにちは。今年9月から連合に派遣されている特別中央執行委員の加納です。

 

初めてのブログ投稿ですので、まずは簡単な自己紹介をしたいと思います。

 

〈自己紹介〉

先月40歳を迎えた1975年生まれ。身長は172㎝、体重は59キロ(ここ最近は増加基調)。

まだ連合に着任してからの期間は短いのですが、この10月からは主に経済政策、財政まわりに携わっています。何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

〈最初に〉

さて、今日は「認知症」のことに触れたいと思います。ただ、最初に誤解がないよう「認知症」は決して恐ろしい病気ではない、悲観するものでもない、誰もがなる可能性のあるもので、周りの支援などにより変わらず穏やかに生活できるものであることを言っておきたいと思います。

今後も「認知症」を患っている人の数はますます増加していくようです。小さなことからでも自分は何をできるのか、手伝えるのか、自分の現在進行形の状況も交えながら、話を進めていきます。

 

〈認知症を患う人の数〉

今年1月、厚生労働省は「全国で認知症を患う人の数が2025年には700万人を超える」との推計値を発表しました。認知症高齢者は2012年時点で全国に約462万人と推計されており、約10年で1.5倍にも増える見通しで、65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症に罹患する計算となります。
〈なぜ「認知症」の話をするのか〉

それは私の身近な人が、今年8月に「認知症」と医者に診断されたからです。

 

〈認知症サポーター講座を受講してはいたのですが・・・〉

昨年、機会があり「認知症」の正しい知識、対応の仕方の基本を学ぶ「認知症サポーター講座※」を受講しました。この講座は、認知症の正しい知識を得ること、対応の仕方の基本を学ぶこと(3つの「ない」1.驚かせない 2.急がせない 3.自尊心を傷つけない)等を目的としたものです。

実際には、「自尊心を傷つけない」ように話をするのはとても難しい場面があると感じています。そう感じた具体的な場面を紹介したいと思います。

 

きっかけは医者から「車の運転は止めるように」と言われたことでした。

○自分はこれまで無事故・無違反だし、何ら問題なく車を運転してきている。

○電車や徒歩での生活はできたとしても、やっぱり車で出掛けたい時や、車でないと行けない場所もある。

○「車を運転しないように」となぜ医者からそこまで言われないといけないのか。そんな権限はあるのか。

○認知症の本を読んでチェックしても、自分が認知症とは思えない。医者からの一言でなぜそこまで言うのか。

 

しかし、認知症の症状が、本当に運転を止めないといけない程度なのか私に測ることはできません。それでも車の運転はやっぱり心配で、この機に止めてほしいと思います。

 

「事故を起こすとは思わないよ。でも万が一のことが心配だから、運転を辞めた方が良いんじゃない?車がなくても変わらない生活ができるよ」と穏やかに話しても、本人は「車の事故なんて誰でも遭遇する可能性はあるのは変わらない、自分は事故に遭わないようにこれまでも慎重に運転してきている」と言うのです。

 

言っていることは筋が通っているし、いくら周りの人が心配していることを伝えても、本人が納得できる話でもない。でも、やっぱり車の運転は心配で、この機に止めてほしい。その繰り返しが暫く続きました。

 

結局、車は売却することになりました。

 

本人は腹の底からは納得していませんし、できるものでもないと思います。こちらも無理に納得させようという気持ちで話をした訳ではないのですが、一連のやりとりで「自尊心を傷つけない」ように話すことはできなかったと思っています。

 

※認知症サポーター

認知症サポーターとは、認知症について正しく理解し、認知症の人や家族を温かく見守り、支援する応援者。全国に約634万人のサポーターが誕生しています(平成27年6月末現在)。認知症サポーターやその養成講座について、詳しくは以下の厚生労働省のホームページも是非見てください!

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000089508.html

 

〔オレンジリング(認知症サポーターの印 ※養成講座を受講するともらえます)〕

 

 

 

 

〈今後〉

「認知症」で1番苦しいのは本人だと思います。一方、私はわたくしで、いままで以上にできることを、小さなことも含めて積み重ねていきたいと思っています。

 

「認知症」についての知識を既にお持ちの方も多くいらっしゃるかと思いますが、一人でも多くの方が正しい知識を持ったうえで、「認知症」の方にもさりげないサポートをして貰えたらと思います。

 

そして最後になりますが、「認知症」に限らず、困っている人がいれば助けようとすること、変わった様子の人がいないか気にかけること、そんなことが普通に誰に対してもできる人は素敵だと思います。私はまだまだできていません。すべてのことに応えるのは難しいことですが、そんな「気持ち」を大事に毎日過ごしていきたいと考えています。

ニール・ヤングは永遠に不滅!?

書記局の鈴木です。この8月から労働局を担当しています。組合員のみなさんの労働条件を「安心と働きがい」あるものにするのが仕事です。

 

唐突ですが、私には18歳の息子がいます。いわゆる受験生です。誰に似たのか、ファッションに興味をもち、いろんな服を揃えています。本人いわく、受験生の数少ない楽しみ・息抜きだそうです。

 

 

ある土曜日のこと。息子が模擬試験に行くというので車で送っていくことにしました。出掛ける直前、玄関に現れた息子は、人の姿が大きくプリントされたTシャツを着ていました。なんとそれは、あのニール・ヤングではないですか!

 

ニール・ヤングとは、1960年代から活動しているアメリカのミュージシャン。70歳になった今も現役バリバリでアルバムを出し続けています。初期に発表された“Heart of Gold~孤独の旅路”などは、聴いたことのある方も多いのではないでしょうか。

フォーク、カントリー、ロック、轟音ノイズと、ジャンルは一つにとどまりません。ただ、あまりにも無骨で、ときには無様なほど自分をさらけ出すのには、賛否両論あるところです。

 

そんな人のTシャツをなぜ…?どうやら息子は、ある有名人が着ているのを見て古着屋で購入したのだそうです。名前は知っていましたが、どんな人かはほとんど知らないようでした。

 

 

ニール・ヤングは、アメリカ人、とりわけ弱い立場の人に寄り沿いながら歌ってきました。「愛と自由と平和」のロックフェスティバル“ウッドストック”にはじまり、反核・反差別を訴える曲をつくったり、イラク戦争のときにはブッシュ批判のアルバムを丸ごと一枚つくったりもしました。

今の日本とやけにシンクロする気がするのは私だけでしょうか。

 

 

車中、「これがニール・ヤングだ」と曲を流しましたが、息子が何を感じたかは?です。けれど、「動機は違っても、こんなことがきっかけで受け継がれていくのかも」と、淡い期待をもつのでした。いつか息子がニール・ヤングの歌に胸ふるわすのを想像しながら…。

 

夏の風物詩 高校野球に思う

暑い夏が過ぎ去り、めっきり涼しくなった今日この頃ですが、高校球児の熱闘に心を奪われた方も多かったのではないでしょうか。

 

優勝した東海大相模高校の小笠原慎之介投手、早稲田実業高校の清宮幸太郎選手、関東一高校のオコエ瑠偉選手など、素晴らしいスターが甲子園で躍動しました。

 

多くの人がなぜ高校野球を観て感動するのでしょうか。最後まで必死に戦い抜く姿、数々のドラマ、選手たちの純粋な涙・・・、本当に胸が熱くなりますね(私もよく泣きます(笑))。

 

そして、一発勝負の最後の闘いという「儚(はかな)さ」、「刹那(せつな)」といったものに心を揺さぶられる人も多いのではないかと思います。

 

今では、その片鱗もありませんが、夏が来るたび、私も35年前のあの「熱い夏」を昨日のことのように想い出すのです。

(注:↓クリックすると拡大できます。ぜひ記事の内容もご覧ください!)

うなだれているキャッチャーが筆者

うなだれているキャッチャーが筆者

今より10㎏近くマッチョだった筆者

今より10㎏近くマッチョだった筆者

 

 

 

 

 

休日(土曜日)の過ごし方

皆さん、こんにちは。委員長の浜田です。

 

今回は、私の休日(土曜日)の過ごし方についてお話します。前々回の投稿で、私の趣味は「海釣り」であることを報告いたしました。

釣り上げた魚は必ず食べる!しかも、美味しく頂く!(美味しいお酒と共に)のがモットーです。

しかし、忙しくて帰省ができなかったり、海況が悪くて釣行ができなかったりした場合、よく行く所があります。そこは、足立区千住にある「足立市場(しじょう)」です。

 

(ホームページはこちら⇒ http://www.adachi-shijyo.or.jp/)

 

この市場は、水産物専門の中央卸売市場です。千住大橋のたもとにあります。

千住大橋といえば、松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めの場所として有名ですね。

この市場は今から400年以上前、織田信長の政権時代にできた青物市場「やっちゃば」が始まりと言われています。

市場内には、魚類を扱うお店が40~50店舗、所狭しとひしめいています。全国各地から鮮魚、加工品が入荷しており、日によって扱う魚種は違ってきます。

ここは仲買人だけではなく一般の顧客に対しても販売していますので、気軽に買うことができます。時には、私がよく行く料理店の店主と出くわすこともあります。

市場の朝は早く、私はいつも7時頃には物色を始めています。

注)良い魚は早くから売れてしまうので、お昼頃にはなくなってしまいます。

 

写真は、私の愛用の包丁たちと、ある日の「仕入れ」で作った「お造り」です。

新潟の鯛、静岡のいさき、富山の蛍いか、北海道のたこ、でした。

2015.06.09 021

 

 

 

 

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組合活動への思い

皆さん、こんにちは。中央副執行委員長の町村です。

 

早いもので、生保労連の専従役員となって間もなく丸2年を迎えようとしています。

生保労連での任期もこの大会をもって、ということになろうとしていますので、自身の振り返りとともに、私なりの組合活動への思いについてつぶやいてみたいと思います。

 

入社間もないころの組合活動への関心は見事にゼロ!

それどころか「労働組合って何?」と思っている批判的な人間でした。

そんな中、札幌支社で営業職中執の下、機関長補佐をすることになってから少しずつ考えが変わり、中執の本部への出張回数・期間を肌で感じ、大変な仕事をされているんだなと思いました。

そんな自分が、将来、入社歴の約半分にあたる、支部8期・本部8期の16期にもわたり組合活動を担う当事者になるとは夢にも思っていませんでした。

単組本部における中執会では、先頭を切って発言し、時には常任執行委員に対しても臆することなく熱く意見していました。まさに怖いものなしという感じでしたね。

 

※クリックすると拡大できます!

 

労連に来てからは、単位組合の皆さんとはもとより、産別を超えて情報交換を行い、国会議員・秘書の方々と意見交換の機会も持てました。またあるときは、街宣車に乗って演説をするなど、普段では考えられない活動もさせていただきました。

 

 

組合活動を通じて改めて思ったのは、組合役員の皆さんは、いかに自己犠牲の下、業務に打ち込まれているかということです。

組合員のため、会社のため、現場の声を真摯に聴き入れ、より良い職場環境づくりのために日々邁進しているのだと感じました。

 

ただ、最近ちょっと残念に思うのは、『熱い組合役員』といえる人材が少なくなってきたかな?と感じることです。組合活動と本来業務を切り離しづらいことが一因でしょうかね?

 

ぜひとも組合員の代表として、臆することなく経営に対し意見具申のできる人材が数多く現れてくることを切に希望したいものです。

そのことが将来の生保産業のさらなる発展につながっていくものと思ってやみません。

 

皆さんの益々のご活躍を祈念しております。